坂田利夫さん、82歳で死去。アホの坂田の“アホ”は、笑いの原点だった

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坂田利夫さん、82歳で死去。アホの坂田の“アホ”は、笑いの原点だった

坂田利夫さんの死去について

坂田利夫さんのプロフィール

坂田利夫さんは、日本のお笑い芸人です。彼は1941年10月7日に生まれ、2023年12月29日に亡くなりました。彼は漫才コンビ「コメディNo.1」の元メンバーであり、吉本興業に所属していました。 本名の地神利夫さん(じがみとしお)は、アホの坂田という通称で知られています。後輩の芸人や年下の著名人、一般人からは坂田師匠と呼ばれています。芸名は将棋棋士の坂田三吉さんに由来していますが、将棋は苦手です。

大阪府大阪市港区田中1丁目生まれです。この花商業高等学校(現・大阪偕星学園高等学校)を卒業しました。漫才コンビの時代にリリースしたキダ・タローが作曲した「アホの坂田」はイメージソングとして定着し、舞台に登場する際にはお約束として使われました。

2023年12月29日、日本のお笑い界に大きな功績を残した「アホの坂田」こと坂田利夫さんが、老衰のため亡くなりました。享年82歳。

坂田さんは1941年10月7日に大阪府大阪市で生まれ、1964年に吉本新喜劇に入団。1972年に西川きよしさんとコンビ「コメディNo.1」を結成し、その独特の漫才スタイルで人気を博しました。

「アホの坂田」のキャラクターは、その天然ぶりと間抜けな言動で、多くの人々に笑いを届けました。また、キダ・タロー作曲の「アホの坂田」は、彼の代名詞とも言える代表曲となりました。

坂田さんは、漫才だけでなく、テレビや映画などでも活躍し、幅広い世代から愛されました。また、後輩芸人の育成にも力を注ぎ、多くの芸人に影響を与えました。

坂田さんの死去は、日本のお笑い界にとって大きな損失となりました。しかし、彼が残した笑いは、これからも人々の心に生き続けることでしょう。

漫才界の革新者

坂田さんは、漫才のスタイルを大きく変えた人物として知られています。それまでの漫才は、主に演者の技巧やセリフの面白さに重きが置かれていましたが、坂田さんは、その天然ぶりと間抜けな言動で、観客を笑わせるスタイルを確立しました。

このスタイルは、その後の漫才界に大きな影響を与え、多くの芸人が坂田さんのスタイルを模倣しました。また、坂田さんの登場は、漫才を若者にも身近なものにしたとも言えるでしょう。

また、彼は、後輩芸人から「坂田師匠」と呼ばれるほど、慕われていました。坂田さんの温かい人柄と、芸人としての姿勢は、多くの後輩芸人に影響を与えました。

坂田利夫さんの死亡原因

2023年12月29日、老衰のため、大阪市内で亡くなりました。享年82歳。最期は間寛平夫妻との親交もあった人々に看取られました。彼は生涯を独身で過ごしました。

持ちネタ・芸風

「アホ」

  • 彼は自分自身をアホと呼び、他人に軽蔑されても気にせずにアホのキャラを演じ続けており、明石家さんまなどの後輩からも「もう師匠だから仕事を選べ」と諭されてもアホそのものであることが彼の代表的な特徴である。アホのキャラクターを演じ始めたきっかけは、ある日の舞台で相方の前田に「お前はアホか」と振られた時に「そうだ、アホだよ」と返したことから始まり、客から大ウケをして「これだ!」と思われたことがきっかけだった。また、吉本からは坂田が「一番アホそうだから」としてアホキャラで売り出すことになったという経緯もあった。彼は「ギャグは偶然の産物であり、面白くなるように意図的に作ることはできない」と語っている。
  • ただし、彼の「アホ」のイメージは完全に芸風であり、プライベートでは彼の周りの人々(弟子やスタッフなど)には絶対にそれを呼ばせない。知らない人に「アホ」と言われるとすごく腹を立てて怒り、舞台でも観客に「アホ」と言われて喧嘩したこともある。また、「バカ」と言われると非常に不機嫌になる。
  • 母親は息子が馬鹿呼ばわりされることに強い反発を感じていたようで、レストランで二人で食事をしていた時、そこにいた学生にりおが馬鹿と言われた際には、泣きながら止めようとした。その後、坂田は自分の芸風に悩むことになる。
  • アホを演じることに嫌気が差し、これまでのスタイルをやめようと考えたこともありましたが、藤山寛美さんに「アホは心の優しい人しかできないんだよ」と助言されて考えを変えました。
  • 独身でいる理由は、本人の言葉によれば「結婚できないのではなく、結婚しない」からだということです。その理由は、将来子供ができた際に、「アホの子」と指差されて負担になるのではないかと心配しているからです。

鈴木宗男のそっくりさん

  • 2004年の時点での坂田の外見は、衆議院議員の鈴木宗男に似ていると言われており、彼自身も面白がってよく鈴木宗男の真似をしていました。
  • 一時期は人気が低迷していましたが、2002年に鈴木宗男の一連の疑惑に関連して、鈴木のそっくりさんとしてマスコミに露出することで人気が復活しました。本人もそれをギャグとして積極的に利用しました。鈴木が逮捕され入院中の437日間、鈴木に代わってさらに露出を増やしました。その後、2005年に鈴木は衆議院議員として復活し、以降は鈴木が坂田を熱心に利用し、お互いに持ちつ持たれつの良好な関係を築いています。
  • 2006年、『めちゃ2イケてるッ!』の「濱口だましシリーズ」では、鈴木宗男のそっくりさんとして鈴木本人が出演する予定だったが、大阪での仕事があり、代わりに鈴木宗男本人が出演した。

代表的なギャグ

  • あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ
  • 「アホ!」- フジテレビの番組「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦スペシャル!!」で、清水アキラが坂田利夫のものまねをし、ピンク・レディーの衣装で「UFO」を歌いました。この時、坂田も「ご本人登場」として共演し、そのギャグを真似しました。
  • 「アホウドリの歌」とは、朝日放送テレビの番組『なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!』などに出演した際に、番組終了直前などに披露される歌です。
  • あ〜りが〜とさ〜ん(当たりギャグである、山本正から5000円で買い取ったギャグ)
  • あなたは愚かですね、オホホ〜(ルーキー新一の「あなたは知らないの?ホホホン」の引用または盗用とも言える[独自研究)
  • いえす、あいどぅー
  • 恋のマイアホ-また、ものまね番組で清水アキラが坂田利夫の真似をして「恋のマイアヒ」を歌った時、坂田も登場し共演した。それは坂田のギャグを逆にパクったものです。
  • サンキュー、便所マッチ
  • ジョンジョロリ〜ン、ジョンジョロリ〜ン、ジョンジョロリンの、ぱっぱ(または、「みみずもカエルも皆ごめん」とも言われている)
  • G・N・Pは、国民の生産総額を指すものであり、G・D・Pは国内で生産された総額を示すものです。また、Y・K・Kはチャックの会社を指しています(オモテ)。
  • 手足をくねらせながらの特異な横歩き。吉本の舞台では、時折「アホ」という言葉が大きく書かれた赤い腹巻きを身に着けていることがある。
  • 「ファーホーファアーホー」という行動は、椅子などに座って、両手と両足で交互に拍手をしながら行われることで、「とっちゃん叩き」とも呼ばれています。
  • まいっちゃったよたまんないね

有名人からのお悔やみメッセージ

坂田利夫さんの訃報に対し、多くの有名人からのお悔やみメッセージが寄せられています。彼と親交のあった芸人たちや、共演者からは、彼の天性のパフォーマンス能力や、多彩な才能を惜しむ声が挙がっています。また、彼の作品に触れ、語り継いでいくことが大切だというコメントも多く見られました。坂田利夫さんの訃報に、多くの人々が心から哀悼の意を表明しています。

間寛平さん、事務所を通じて追悼

寛平さんは坂田さんという相手とバラエティー番組「あっちこっち丁稚」(朝日放送)で一緒に出演していた。彼らは54年間の親しい関係があり、寛平は親族たちと一緒に坂田さんの最期に立ち会ったと伝えられている。寛平は以前から自分の旧ツイッターで坂田さんへの思いを投稿していた。あらためて「僕が吉本に入った時からずっとかわいがってもらいました。ずっと一緒だった時期も、坂田兄やんが支払ってくれたお金で一緒にホテル住まいをしていました。こどもが生まれてからは娘も自分のこどものようにすごくかわいがってくれました。舞台ではこどもにウケるととても喜んでいたのも覚えています」と振り返った。  さらに「坂田兄やんは『アホの坂田』と言われていますが、僕にとっては大師匠という存在です。今の時代にアホの道を極めることができるような芸人はいないし、二度とあそこまでの芸人は出てこないと思います」と強調。「坂田兄やんが舞台を少し休むようになってからは、自宅へも伺ったりと男同士なので寄り添いたい気持ちと恥ずかしさもありましたが、最期まで寄り添い見送ることができました」と言い、「根っからの芸人、お笑いが大好きな兄やんには、天国でもみんなを笑顔にしていると思います。ご冥福をお祈り申し上げます」とコメントした。

西川きよしさん、事務所を通じて追悼

坂田さんは若手のころから西川・ヘレン夫妻と仲が良く、西川家に居候して3人で切磋琢磨(せっさたくま)した。西川は「四畳半のアパートで川の字になって寝ていたあのころから、ヘレンと一緒に家族のように楽しく過ごした者同士、たくさんの思い出があります。58年の2人の友情は一言では言い尽くせません。坂田ありがとう。ゆっくり休んでください」と悼んだ。

松本人志さん、坂田利夫さん追悼

コメディアンの坂田利夫さん、通称「アホの坂田」が29日、老衰により大阪市内で亡くなりました。吉本興業が30日夜に発表しました。享年82歳です。また、ダウンタウンの松本人志(60)も31日に自身のX(旧ツイッター)を通じて追悼しました。 松本は次のように述べた。「坂田さんは、師匠という厳かなイメージをカジュアルなものに変えた方です。本当に好きな方です。ご冥福をお祈りします」と。 坂田さんは1964年にデビューし、前田五郎さん(故人)との漫才コンビ「コメディNo.1」を1967年に結成し、数々の賞を受賞しました。 若者の頃から、西川きよし・ヘレン夫妻と親しく、西川家で一緒に住み、3人で若い時代を励まし合いました。「あっちこっち丁稚」(朝日放送)で共演した後輩の寛平とは54年間の交流があり、最近では寛平夫妻が82歳の誕生日をお祝いして大変喜んでいたということです。坂田さんは最期も親族と寛平夫妻に見守られながら息を引き取りました。 代表的なギャグは、「あ~りが~とさ~ん」や「あんたバカね、オホホ~」などで、記憶に残るものがたくさんあります。舞台に出る際は、「アホな顔して行ってくるわな」と言い、1972年に発売し大ヒットしたレコード「アホの坂田」に合わせて舞台に向かっていく姿は有名です。最後まで「アホ」な笑いを貫いたのです。

村上ショージ「吉本のチャップリンこと坂田師匠が旅立ちました!」「優しい姿忘れません」

お笑い芸人の村上ショージさん(68歳)が31日、自身の公式インスタグラムを更新しました。坂田利夫さん(本名・地神利夫さん)が29日に老衰のため、大阪市内で亡くなったことを受けて、コメントを掲載しました。

ショージは、坂田師匠に向けて「坂田師匠、ありがとうございます。ゆっくり休んでください。村上ショージ」というメッセージを書き込んで、坂田師匠の似顔絵が描かれたサイン色紙を投稿しました。「吉本のチャップリンとして知られる坂田師匠が旅立ちました!師匠、お疲れさまでした。本当にありがとうございました」という感謝の気持ちを綴りました。

その後、「優しい姿忘れません劇場で会うたび、おはようさん!笑顔で返してくれる最後までお笑いが大好きで舞台に立っていた姿忘れません!また最後まで坂田師匠を看病していた寛平さんご夫妻ありがとうございました。坂田師匠は幸せでしたよ!ゆっくり休んでください坂田師匠!」と悼んだ。

東野幸治は、旧ツイッターで「坂田師匠ありがとうございました。お悔やみ申し上げます」

東野幸治は、旧ツイッターで「坂田師匠ありがとうございました。お悔やみ申し上げます」と追悼しました。シャンプーハット・恋さんは、坂田師匠について「ご飯もよく連れて行っていただきましたし、毎年元日にお電話でお話しさせていただきました。明日またお話できると思っていましたが、ずっと大好きです」と述べました。

お笑いコンビ「ハイヒール」のモモコさん(59歳)「よく似ているとよく言われました。楽しい思い出しかありません」

お笑いコンビ「ハイヒール」のモモコさん(59歳)が、31日に自分のインスタグラムを更新し、29日に老衰のため亡くなった吉本興業の先輩芸人、坂田利夫さん(享年82歳)を追悼しました。

「大好きなお父さんのような坂田利夫師匠が亡くなったと報告しました」と述べた。父子のように仲睦まじいツーショット写真を2枚掲載しました。

関西のテレビ番組などでは、モモコさんは芸人仲間から「坂田師匠にそっくり」といじられていました。モモコさんは結婚披露宴で新婦の父親として一緒に歩いてくれたことを回想し、「よく似ているとよく言われました。楽しい思い出しかありません」と書き綴りました。

落語家・タレントの桂小枝さんが、坂田さんへ追悼のメッセージをSNSに寄せました。

【 桂小枝さん SNSより引用 】

坂田先生〜先生は大阪の貴重な存在でした!ゆっくりとお休みください!感謝しています!

落語家の月亭方正さんは、2ショット写真と共に、SNSで坂田さんを偲びました。

【 月亭方正さん SNSより引用 】

おはようさん頑張っとるか〜頑張れよ〜ほな行ってきまっさ〜舞台でドカンドカン笑いをとっておられました師匠本当にありがとうございました。

メッセンジャー黒田有さんも、SNSで坂田さんを偲びました。

【 メッセンジャー黒田有さん SNSより引用 】

坂田師匠には、家がご近所の事もあり大変可愛がってもらいました。。。ありがとうございました。。。

東野幸治さんは自身のSNSで、追悼のコメントを出しました。

【 東野幸治さん SNSより引用 】

坂田師匠ありがとうございました。お悔やみ申し上げます。

たむらけんじさんも自身のSNSで、坂田さんを偲びました。

【 たむらけんじさん SNSより引用 】

僕が『ちゃ〜』をやり始めた頃、全くウケなくて、もうするのやめようかなって思ってた時に、坂田師匠が「たむけん、ギャグはやり続ける事やで、やり続けたらいつかウケるからな。」この言葉に勇気をもらってやり続けました。坂田師匠ありがちゃ〜!

なだぎ武さんは、自身のSNS

なだぎ武さんは、自身のSNSで「え!?、、坂田師匠、、、」と悲しみのコメントを寄せました。

シャンプーハット・恋さんも自身のSNSに追悼のメッセージを寄せました。

【 シャンプーハット・恋さん SNSより引用 】

坂田師匠
ご飯もよく連れて行っていただきました
毎年元日お電話でお話しさせていただきました
明日またお話出来ると思ってました
ずっと大好きです

その他

麒麟の田村裕さんも「本当に大好きでした」と述べました。吉本興業の漫才師や大阪や関西のお笑いファンだけでなく、SNS上にも「あ~りが~とさ~ん」という声が広まりました。  

ムームードメイン

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